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外貨建て債券の格付け

ストラクチュアードーファイナンスに対する格付けは、ABS(アセットーバックドーセキュリティーズ)などの返済能力を示すものである。ストラクチュアードーファイナンスにおいては、消費者ローン、企業向けローン、住宅ローン(モーゲッジ)、自動車ローンなどの多数の債権をプールして、それを償還財源または担保として証券を発行する。例えば、多数の自動車ローンをプールしてつくったストラクチュアードーファイナンスでは、プールされているローンの信用度、オリジネーター(ローンの元の保有者)が倒産したときの防護など法律上の仕組み、キャッシューフローが不足したときの信用補填のスキームなどによって発行される証券の信用度が異なる。

通常は信用度が低くなった金融機関が優良債権だけをプールしてストラクチュアード証券を発行するので、金融機関の格付けが低くてもストラクチュアード証券については高い格付けを取得することができる。そのため資金調達コストを下げることができるというメリットがある。一方、ハイーリターンをねらうシャングーボンドばかりを集めたストラクチュアード証券もある。

自国通貨建ての国債(自国通貨建てソブリン債)や地方政府債などの公共債も格付けの対象になる。国債は中央政府が発行する債券(負債)であるので、通常は最も安全度の高い「格付け」が与えられる。地方政府債には州債、県債、市債、町村債などがある。日本では県債など地方自治体が発行する債券は自治省など国の監督が行き届いているので現状では返済不能ということは考えられないが、米国などではデフォルトの例が多数ある。一九七五年にニューヨーク市の財政状態が悪化してニューヨーク市債の返済がストップした例など、枚挙に暇がない。そのために公共債についての格付け情報が提供される。

外貨建て債券も格付けの対象になっているある国の発行体がその国以外の通貨建てで発行する債券で、中央政府が発行する外貨建て国債(外貨建てソブリン債)、地方政府債、民間企業債などがある。返済は外貨で行われるので国内債の返済能力に加えてその国の外貨取得能力が評価される。外貨建ての公共債についてはS&Pが日本政府保証の四機関(東京都、日本開発銀行、日本輸出入銀行、公営公庫)にAAA(保証人である日本政府の評価)をつけている。ムーディーズは前述の通り日本政府の外貨建てソブリン格付けをAaに格下げした。

以上のように格付けの対象は、当初は社債や国債、地方政府債、外債などの債券に限られていたが、一九八〇年代以降、保険金の支払い能力や銀行の財務能力および銀行預金など債券でないものに拡大してきている。格付けの定義からいえば、契約通りに債務が履行される可能性の程度を測定するのが格付けであるから、今後も格付け対象は広がっていく可能性がある。評価するのは「デフォルトの可能性」の程度格付け機関が評価する内容(事項)は、格付け対象の債務があらかじめ定めた契約条件通りに返済される可能性の程度(信用リスクと呼ばれる)である。

例えば、ある企業が総額五〇〇億円の無担保普通社債を発行するとする。毎年末に五%の金利(クーポン)を支払い、期限十年の最後に元本を一括して償還する条件であるとする。この企業は社債発行の前に格付け機関に行って格付けを取得する。図2に示したように、取得した格付けがトリプルB(ムーディーズの場合はBaaでビー・ダブルエーと呼ぶ)であったとすると、この社債は投資対象としては投資適格の範鴫に入るが、「適格特性が不足」している債券であることになる。元本と利息を契約通りに支払うことができる能力は、現時点では確実性が認められるが「長期的には確実性が低い」中級の債券であることを意味する。

留学生にもいろいろある

法律や規定が余りにも煩瓊に変わり、かつ細則や判例集が公表されない場合が殆どであるので、意図的でない場合のミスで結果的に違法になった場合の罰金が不明確である。担当者の裁量により、かなり変化があるということであり、常に最悪を考えていないといけない。規定が煩瓊に変る理由は、中国が社会主義市場経済を取り入れたことにより、過去の社会主義制度が経済面では資本主義の制度に変り、かつその制度が中国国内で完結出来ないということと、その社会主義市場経済が世界の資本主義と切っても切れない関係に組み込まれたことから来ている。社会主義体制の中で、経済面とは言え、資本主義の考え方が政治的にどのように影響して来るかも併せて考えるので政治体制に係わりそうな内容は規定が曖昧になったり、他の規定と矛盾が生じたりする。悪いことに新しい規定が上手く機能するかを見る為に過去の規定を廃止しないでそのままにしておくこともあるので、先行きどうなるか読みにくいことである。

前著で中国の統計は、トレントをしっかり見ることにし、発表された数字を鵜呑みにしないことと書いた。各種の規定の変化も時代の流れを見ながら判断していかないと見誤ることになる。時代の流れを見ればどんな法律が制定されるか、あるいは過去の規定がどのように修正されるかは予測がっくので、その内容も理解しやすくなる。規定も字面だけで判断するのは非常に危険だ。その背景を読む必要がある。最近は欧米系や日系の法律事務所や会計事務所が進出して来ていると書いたが、我々だけではとてもこの広い中国や多くの企業での出来事を全て調査は出来ないから、各種の雑誌や情報誌、銀行の連絡メールなどの問答集を見ることにより、たとえ判例集がなくとも判断の助けにはなる。気が付いたら手遅れという事態にならないよう、問題意識をもって各方面に気配りを普段から心しておく必要がある。

相変わらず、経験談を中心に中国社会を考えていきたい。日系の最近人材紹介会社の中国への進出も多い。一ヵ月に数回会いたい旨の電話があり、出来るだけ時間を空けて人材紹介会社の営業と会っているが、この営業マンに日本からの留学生組が多いのだ。私の会社は常に人の入れ替わりがあるわけではなく、補充が必要な時と業務の拡大をする時に数人雇用する程度なので、会うときは、いつも仕事の話よりも中国に何をしに来たかの質問をする。まず人を雇用するよりも営業マンの資質と人格を見る。しかし、人材紹介会社の営業マンと接触してから、半年後、一年後に用事がある時にその営業マンを呼んでも殆どの営業マンはその人材紹介会社にいない。既に辞めて日本に帰ったか、他の地域に移ったか、また別の会社に移っている。殆どがその会社は次の仕事を探すまでの腰掛けになっている。

その留学生と話をして最初に分かることは、何故留学先が中国でなければならないかの目的が明確でないことである。日本では就職先が最近ないが、中国にはあるかも知れない、このような安易な動機が大半。中国には日系企業が多く、留学して中国語を勉強すれば何か就職口があるのではないかと考えているふしがある。中国の最近の歴史もきちんと勉強してきている人が非常に少ない。善良な日本人ではあるが、ここが外国であるという意識がどれだけあるのか。そんなに世の中は甘くない。これも日本で言う、フリーターとかニート族の感覚の延長で来ているのではないか? 私にはそうとしか思えない人が多い。

あるとき、私の町の留学生の会が私に電話を掛けてきた。「留学生の会で就職関係の講演をして欲しい」と。「私の会社はそんなに人を取らないので就職ということでは話すことはない。どちらかと言うと留学生には厳しい態度で臨んでいる。ほめることもしないよ。それでも良いか?」と回答したら次からは電話もかかってこなくなった。所詮そのレベル。目的が明確であれば、石にかじりついても目的が達成するまで、中国で貧乏生活をしながらでも生活をして頑張るのではないか、と私は思う。余り社会を(中国と敢えて言わず社会と言う)なめない方が良い。次に営業の方に聞く質問は、「私に紹介する人をどのように選択しているのか。本人と会社の仕組み」を聞く。

中国の土壌汚染について

青年は、あのとき被曝したかもしれないと語ったという。中国政府は核実験を予告してはいないのだから、これまでに新疆の地で被曝したのは中国人だけではないだろうと水谷は書き添えている。このくだりを読んだとき、在日ウイグル人から聞いた言葉を思い出した。「中国人にとって私たちウイグル人は、人間じゃない。動物と同じなのです」チベットの指導者、ダライ・ラマ14世は、核廃棄物の問題に触れて、「チベットの遊牧民たちは、その川が核物質に汚染されていることを知らされてもいない。このことはたいへん深刻な人権問題」といっている。核実験をやること自体許せないが、そこに人が住んでいるにもかかわらず、何の予告もなく核実験を決行し、核廃棄物を捨てる政府とは一体何者なのか。

中国政府が行なってきたことは、まさしく悪魔の所業である。こうした事実を知っているから、私は「中国の環境汚染の深刻化は、地方政府が地元産業を保護するあまり汚染を黙認するから」という中国政府関係者のたわ言を一切信じるつもりがない。この国の政府の言い分はつねにそうなのだ。「中央政府は一生懸命取り組んでいるが、地方がいうことをきかない」「中央政府は問題意識を強く持っているが、国民の知識レベルが伴なわない」そんなことがあるはずはない。それほど、地方を掌握しにくいのなら、「チベットもウイグルも中国の一部といわず、国を分ければ治めやすくなるではないか。それほど国民が愚かだというのなら、賢い中央政府が自ら、核物質の恐ろしさを絵に描いてでも教えてあげるべきではないか。それが、ウイグル人にとってのアラーの神より、チベット人にとってのダライ・ラマより「上位」そある、といって憚らない唯一絶対の政府の使命である。

年1200万トンの食糧が重金属で汚染されている食べ物の話から少しそれてしまったが、この国で「人間扱いされていない」のはウイグル人やチベット人だけではない。多くの一般庶民が、たとえ命の危険と隣り合わせにあってさえ、正しい情報を与えられてはいないのである。そんな中国政府でも、ときに都合の悪い情報を公表せざるを得なくなるときがある。こういうケースが起きる理由はおもにふたつ。第1には、外国からの圧力に抗しきれなくなったとき、第2には外国からの「援助」をもらうために注意を引こうとする場合である。たぶん第2のケースであろうが、2007年、国家環境保護総局の周生賢局長は、中国の土壌汚染について、深刻なデータを発表した「中国では、毎年1200万トンの食糧が重金属で汚染されていると推測され、直接の経済損失は200億元(約3000億円)に達する」1200万トンとはどれくらいかピン来ないという人のために参考まで。

2007年度の日本の米の総生産量が870万トンである。ご存じのように、食料の多くを輸入に依存している中で、日本は、米だけは100%自給し余るほど生産しているが、中国では、その総量の1.5倍近い食料が、カドミウムや硯素、鉛、水銀、クロムなどの重金属に汚染されているということである。しかも中国の場合、政府発表の数字自体が信頼性に乏しいため、この1200万トンも実態よりはかなり少な目に見積もった数字と見るべきであろう。水も土も空気も汚れ、放射能汚染の疑いさえ拭えない隣国の恐るべき環境汚染の実態を知らせるレポートやデータは、挙げだしたらキリがないほど存在する。仮に百歩譲って汚染自体は解決可能な問題だと考えるとすれば、やはり私たちが深刻に受け止めなければならない問題は、中国政府の隠蔽体質である。真実を明らかにする姿勢もないところで、「環境問題対策」も何もあったものではない。ましてや「食の安全」への取り組みどころではないのである。

撲滅すべきは、心の中のニーハオトイレ中国は政府自ら認める「非文明社会」2008年9月、福建省を訪れたとき、厦門市内であるスローガンが書かれた横断幕を頻繁に見かけた。「文明社会を創ろう」あるいは「文明都市を創ろう」というものである。これと並んで、「和諧社会(格差の少ない調和のとれた社会)を創ろう」というものもやたらに多い。「和諧社会」というのは、現・国家主席である胡錦濤が最も強調する目標である。国のトップの理想と同等扱いの「文明社会を創ろう」の重みはいかばかりか、わかろうというもの。それほどまでに中国政府は、自国がいまだに「非文明的」であると認めているということでもある。厦門で一緒に行動していたうら若き共産党員の女性に「あの文明社会というのは具体的にどういうことなの?」と聞いてみた。彼女は苦笑いしながら「そうですねえ、道で痰を吐いたり、列に並ばなかったり、大声で騒いだり、そういうことをする人、そういう行動をなくそうということですね」と答えた。

拉致問題で日朝関係は先行き不透明

その少し先の韓国市場までパイプラインを延ばすことができれば、話は違う。言うまでもなく、そのためには北朝鮮を通過しなくてはならない。さらに、金総書記が、極東旅行の全日程に同行したロシアのプリコフスキー極東連邦管区大統領全権代表をともない平壌に凱旋した日、外務省の田中均・アジア大洋州局長(当時)は、その三週間後に控えていた小泉訪朝の地ならしともいえる日朝局長級会談に臨むため、平壌へと飛んだ。極東を舞台に相次いだロ朝、日朝の首脳会談の背後には、まるで蜃気楼のようにサハリンの天然ガス田が浮かび上がってくるのだ。

サハリンでは九つの石油・天然ガスの開発プロジェクトが進行していて、なかでも米英系石油大資本(メジヤ士や有力日本企業が事業参画している「サハリン1 」と「サハリン2」が有望視されている。天然ガスをLNG(液化天然ガス)に精製してタンカーで輸送するサハリン2の販売先は、日本の電カーカス会社などに決まっていた。問題はサハリンーの天然ガスだ。開発主体となる資本は、米国のエクソンモービルが三〇%、伊藤忠商事、石油公団、丸紅などが出資して設立したサハリン石油開発協力㈱(通称SODECO)が三〇%、それに、ロシア国営石油会社のロスネフチなどで構成されていた。

サハリンーは、同島東北沿岸にある鉱区で採掘された天然ガスを、北海道、下北半島、新潟(ないし仙台)へと続くパイプラインを建設して、首都圏に供給しようという壮大な構想だったが、当初から実現は絶望視されていた。最大の難問は、パイプラインを北海道や東北地方沿岸に敷設する際に生じる漁業権補償だ。パイプラインは水深の浅い沿岸部に沿うように敷設されるためヽ水産資源環境に大きな影響か出る。このため、周辺漁協との折衝が不可欠となるが、その額が半端ではない。たとえば青森県の原発建設では、周辺海域の特定漁協に一五〇億円もの補償金が支払われた前例がある。総距離二四〇〇キロに達するサハリンー構想の補償額は、天文学的な数字に跳ね上がるはずだ。

だが、パイプラインを北朝鮮経由で韓国まで延ばし、さらに、玄界灘を通して北九州まで延長することができれば、かなり筋のいい構想に化ける可能性がある。九州・中国地方の電力不足に貢献できるからだ。日朝首脳会談直前に敢行された金総書記の派手な極東旅行には、自らがサハリッー構想の救世主であることを見せつける政治的アピールが込められていた。そのシナリオは容易に想像がつく。新日本製識など日本企業へのパイプライン建設受注を織りこみずみとしたうえで、日朝国交樹立の暁に始まるODA(政府開発援助)などの復興事業に、日本から支払われる無償・有償の円借款を注ぎ込めばいい。政治的には妥協点を見つけにくい日朝関係を、財界主導の利権にすり替えようという魂胆が透けて見える。

前述した通り、拉致問題で日朝関係は先行き不透明になったうえ、核疑惑まで再燃し、核開発凍結の見返りに朝鮮半島子不ルギー開発機構(KEDO)から供与される予定だった軽水炉二基の建設も中断した。朝鮮半島縦断パイプライン構想は、単なる噂として忘れ去られようとした。ところが、同年末の韓国の大統領選挙で、太陽政策に批判的だった李会昌候補が落選。反米親北色が濃い盧武鉉政権が登場し、風向きが再び変わり始める。○三年一月、韓国政府出資の研究機関が米政府関係者を招いてワシントンで主催した会議で、サハリン天然ガスの朝鮮半島縦断パイプライン構想が公式に議論された。基調演説を行ったのは共和党のカットーウェルダン下院軍事委員会副委員長。同議員は、聶厦にしているペンシルバニア州のパイプライン関連企業集団、FSIエナジーの積極的な働きかけで、サハリン天然ガスを利用した北朝鮮の電力難解消案を提唱し、五月には平壌で金総書記と面談した。

中国インターネット情報センターとは

改革開放後は大学が再開されただけでなく、市場経済における自由競争は高学歴者を必要としたので、九〇年代前半位までは学部卒でも高給で企業に迎えられ、「白領」(ホワイトカラー族を大量に排出した(「領」は中国語では襟、すなわちカラーの意味)。その中には七〇年代生まれの「七〇后」もいる。「白領」族の中でも、雇用されている側から雇用する側になり、会社を経営したりして大金を動かしている超出世株群像を「金領」(ゴールドカラー族と称する。「白領・金領」が基本的には頭脳労働者であるのに対して、「藍領」(ブルーカラー族は、工場や建築現場等で主として肉体労働に従事する群像を指し、中国の場合は、ほとんどが地方から都会に出てきた農民によって構成されている場合が多い。「農民」が工場労働者として「工人」になったという意味で、これを「農民エ」と称している。建築現場を支えているのも彼らである。

上海では一日に一棟、高層ビルが新築されていると、よく笑い話的に言われるが、その建築現場を支えているのが藍領なら、建てられたビルの中で君臨するのが金領であり、その下で働くのが白領なのだ。最近では解雇され、「カラー(襟)なし」となってしまった者もおり、それを「無領」族と称する。失業してしまったわけだが、しかし普通の無職と違い、次の職場を目指して待機しているという意味で、失業者の中に入れないことが多い。また次の固定給をもらえる職場が見つかるまで、ち上こち太ことした収入を得るためのアルバイト的なことはしながら生きており、いずれ固定給をもらいながら働く意思を持っているので、日本語的には「フリーター」として位置付けていいのかもしれない。ニードとは異なる。日本語の「ニード」に相当した中国語としては「泥特」という言葉があり、「泥特族」と称する。

最近、日本のネットのあるサイトで、この「無領族」のことを「毎日襟のないTシャツを着て会社に通う人々」と解説してある中国関係の記事を見たことがあるが、これはまちがいなので注意を喚起したい。中国を日本に紹介する時には自他ともに気をつけなければならないと自分にも言い聞かせた。ところで、白領の生活が豊かかというと、必ずしもそうではない。マイホームのところで「房奴」の話をしたが、身の丈に合わないローン返済で自転車操業をしている白領もいて、最近では「白奴」という言葉さえ出てきているほどだ。「白領」でいることを持続するために、自分自身の生活を犠牲にして、豪華なマンションの中で力ップラーメンをすするような毎日を送っているといった、「涙が出そうな」存在だ。

しかもローン返済で残った金を、その月の内に使い切ってしまう「月光族」や、「まあ、いいや。いざとなったら親がいるさ」という「哨老族」(哨は脛をかじる意味)もいて、一筋縄ではいかない。ネット世代の中核をなしている一人つ子世代「九〇后」と「八〇后」二〇〇九年七月二日、中国インターネット情報センターは二〇〇九年上半期におけるデータを基にした「中国互聯網絡(インターネット)発展状況統計報告」書を発表している。それによれば、○九年六月三〇日における網民(ネッ卜市民、網はネットの意味)の数は、三・三八億人に膨れ上がった。二〇〇八年末における網民の数が一・九八億人であったことを考えると、半年で四〇〇〇万人の増加があったことになる。いうまでもなく、世界一。しかも群を抜いて世界のトップに立っていることは言を侯だない。

この網民の最大多数を占めいているのが、実は「九〇后」と呼ばれている「一九九〇年以降に生まれた」一人っ子たちだ。網民のうち、九〇后が占める割合が三三・〇%、八〇后が占める割合が二九・八%、合わせて六一・八%が一人っ子世代によって占められていることになる。最近ではそのうち「九〇后」の方が勢いを増している傾向にある。一人っ子世代は新聞など見やしない。テレビも見ないという人がいるくらいである。テレビは政府によって統制され、中央電視台(CCTV)は政府の喉と舌になっているので面白くない、というのが彼ら彼女らの言い分だ。ネットであるなら、全世界と通じている。本当のことが見える。知りたいものは自分で選択してパソコン画面で見れば良い。買物だって、ネット販売は実に便利に工夫されている。パソコンが置いてある快適な部屋があれば、それで十分なのだと思っている。小皇帝や小皇后たちは、言いたいことを何でも書き込み、強烈な伝播力で中国全土を動かしていく。

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西洋に東洋の風

日本中の布の産地を回りました。当時の洋服布地は外国のコピーばかりです。良いと思った和服地は、幅が狭くて値が張る。やっと「これなら」と思ったのは、座布団にする滋賀・長浜の鬼しぼちりめんの白布地でした。それを、抹茶のような緑や漆塗りのような朱に染めました。この朱は後に、雑誌『ヴォーグ』がラッカー(漆)レッドと命名、「マダム・モリの赤」と紹介されたんです。ジョーゼットに大きなアゲハチョウをプリントしたドレスも掲載されました。いろいろ無理もしたけど、私も若かった。「なんでもやっちゃおう」と頑張って、六五年一月のニューヨーク初コレクションを迎えました。

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クリスマス前の一番華やいた時期。ニューヨークのデパート「バーグドルフ・グッドマン」のショーウインドーに飾られた自分の作品を見て、夢のような気がしましたね。ベトナム戦争が激しくなった七〇年代、アメリカでのビジネスに行き詰まりを感じ始めていました。服が売れなくなったのではありません。けれど、若者たちが戦争に行き、ジーンズを切り裂いて着るような時代に、奇麗な服を作ることが何かむなしく思えたのです。それに、ニューヨークでは「一番稼いだ人」が一番成功したデザイナーだと評価される。質で競争したい私には、違和感がありました。

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パリで活躍するデザイナーの友人たちにも協力してもらい、七七年一月にパリで初のコレクションを開き、正式メンバーとして認められました。そのころ、女性デザイナーは会長のマダムーグレと私の二人だけでした。東洋人初ということもあり、珍しがられました。その一方で、「東洋人が買い付けに来るならわかるけど、参加するなんて」という視線も感じましたね。日本だとオートクチュールの服を、「こんなの着られないわ」と自分の生活の中だけで判断しがちでしょう。その点、フランス人は「美しい服は美しい」と愛し、評価する目があると感じました。シックで洗練された、そのモードの都で認められたいと本当に必死でした。

違法派遣の場合における派遣先のみなし雇用制度

派遣元事業主についても、派遣先が派遣労働者を受け入れたときに右の内容に抵触することとなる場合は、「当該労働者派遣を行ってはならない」(法第35条の4)として、派遣先の受入禁止と派遣元への禁止を定めました。また、派遣元から派遣労働者の氏名の通知を受けた場合、「この規定に抵触することとなるときは、速やかに、その旨を当該労働者派遣をしようとする派遣元事業主に通知しなければならない。」と通知(法第40条の6第2項)制度も定めました。ただし、適用除外となる、その、雇用の継続等を図る必要があると認められる者として、省令で、「60歳以上の定年退職者」が定められました。この派遣受入禁止は、本来はリストラ対策の濫用防止目的なのですが、60歳以上の定年退職者以外の適用除外事項が定められていません。そこで、離職した労働者が例えば日々雇用者であっても、2週間程度のアルバイ上履用であっても適用除外がないという問題があります。したがって、このような短期間の雇用者であった場合も1年間は派遣受入禁止の適用者に該当することになりますが、これは不合理と解されます。そこで、リストラ対策とは関係のない短期雇用者は、法の趣旨からみて除外すべきと思われます。

なお、このような派遣労働契約は、法令違反として無効となるかとの点については、この規定は行政法としての規制ですから、私法上の契約まで無効とすることはできません。派遣先・発注先への直接みなし雇用制度の創設。今回の改正法については、法的観点からみて、最も問題となるのは、「違法派遣の場合における派遣先の直接雇用のみなし」制度です。この制度は3年間の猶予期間を設けて平成27年(2015年)10月1日から施行されますが、企業社会に大きな影響を与えるものです。すなわち、改正法では、第40条の6(改正法第2条の施行後の条文。以下すべて同じ)において、「労働者派遣の役務の提供を受ける者(中略)が、次の各号のいずれかに該当する行為を行った場合には、その時点において、当該労働者派遣の役務の提供を受ける者から当該労働者派遣に係る派遣労働者に対し、その時点における当該派遣労働者に係る労働条件と同一の労働条件を内容とする労働契約の申込みをしたものとみなす。

ただし、労働者派遣の役務の提供を受ける者が、その行った行為が次の各号のいずれかの行為に該当することを知らず、かつ、知らなかったことにつき過失がなかったときは、この限りでない。第4条第3項の規定に違反して派遣労働者を同条第1項各号のいずれかに該当する業務に従事させること。(注)派遣禁止業務への派遣受入。第24条の2の規定に違反して労働者派遣の役務の提供を受けること。無許可・無届の派遣元からの派遣受入。第40条の2第1項の規定に違反して労働者派遣の役務の提供を受けること。(注)派遣可能期間の制限を超えての派遣受入。この法律又は次節の規定により適用される法律の規定の適用を免れる目的で、請負その他労働者派遣以外の名目で契約を締結し、第26条第1項各号に掲げる事項を定めずに労働者派遣の役務の提供を受けること。(注)いわゆる偽装請負に該当する場合。」と定められています。

そして、「前項の規定により労働契約の申込みをしたものとみなされた労働者派遣の役務の提供を受ける者は、当該労働契約の申込みに係る同項に規定する行為が終了した日から1年を経過する日までの間は、当該申込みを撤回することができない。」(同条2項)とされ、「第1項の規定により労働契約の申込みをしたものとみなされた労働者派遣の役務の提供を受ける者が、当該申込みに対して前項に規定する期間内に承諾する旨又は承諾しない旨の意思表示を受けなかったときは、当該申込みは、その効力を失う。」(同条3項)とされています。また、この「第1項の規定により申し込まれたものとみなされた労働契約に係る派遣労働者に係る労働者派遣をする事業主は、当該労働者派遣の役務の提供を受ける者から求めがあった場合においては、当該労働者派遣の役務の提供を受ける者に対し、速やかに、同項の規定により労働契約の申込みをしたものとみなされた時点における当該派遣労働者に係る労働条件め内容を通知しなければならない。」(同条4項)として、労働条件の内容の明白化を図っています。

竹島と尖閣諸島

東シナ海、または南西諸島の太平洋側を通って日本本上近くにたどり着いたタンカーの前には、なお潜在的紛争要因が横だわっている。竹島(朝鮮半島の用語では独島)の領有権問題は、尖閣諸島と同様に、現在では分裂している二つの国を相手にした問題である。尖閣諸島と違うのは、独島の領有権を主張する二つの国、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が共に別々の国として独立した存在であり、国連にも二つの国として加盟している点であるが、また南北を統一した国になるのは、両国国民にとっての「悲願」とされる。

また、竹島は尖閣諸島と違って、既に韓国によって実効支配されている。日本は折に触れて竹島の領有権を訴えているが、この島の支配権が実質的に韓国の手にある現実に変わりはない。仮に、日本から積極的に実力を使って実効支配状態を作ろうとすることはないにしても、民族感情の高揚や、南北統一の過程における回避的措置として、紛争を仕掛けられる可能性が予想される。その際、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(日本国憲法第二章第九条・傍点筆者)としている日本はどうするのであろうか。

現在は棚上げ状態とされたり、「次の世代に解決をまかせる」状態になっている、いわゆる北方領土(国後、択捉、歯舞、色丹諸島)のロシアとの帰属問題も、今後、何かにつけて噴き出てくるであろう。十年以上先の長期的見地で言うなら、ロシアは必ず再び太平洋に進出しようとする。少なくも、太平洋に容易にアクセスできるルートを確保しようとするはずである。その時、これらの島々、特に国後島と択捉島は戦略地理的条件から、ロシアにとっても日本にとってもきわめて重要な存在になるだろう。

これに二百海里専管経済水域の問題が絡むなら、話はもっと複雑化するし、より早い時期に日露間で大きな問題になる可能性がある。日本がいかに国際紛争を解決する手段として戦争行為を放棄しようとも、相王が国益を守る手段として戦争を発動するなら、日本はいやがおうでも「自衛権」を発動せねばならない。領土問題とは、必ず相手の国が存在しての「国際問題」である。そこで「国際紛争を解決する手段」と、日本固有の領土を守る「自衛権」の発動との関係をどう区別するのか、一九九七年中期現在、国民のコンセンサスはできていないし、すでに実効支配されている領土と、まだどの国の実効支配も及んでいない領土との間で、自衛権の発動条件をどう解釈するのかの議論すら行われていないのが実状である。

そしてもし不幸にして、これらの領土問題に関して、また朝鮮半島で紛争状態が発生するなら、日本のタンカー航路は日本を間近にして大きな影響を受けずにはすまない。領土問題であれば、日本の領土、船が直接攻撃対象とされる可能性があるし、日本に向かう船、航空機の航行は妨害されるだろう。日本本土を含む周辺全体が交戦圏として、相手国によっていかなる国の船、航空機も、その中に入ろうとするなら攻撃対象とする旨の宣言が出されるなら、日本籍の船、航空機だけでぱなく、外国の船、航空機も日本には入ってこられなくなるだろう。

「人民闘争」論の隆盛

一九六七年の衝撃によってもたらされた思想的分極化の一方は、急進的なマルクス主義に向かった。この方向性は敗戦直後に湧き起こったラディカルな現状批判の潮流に根ざしている。代表的なのが、シリアのヤースィーン・ハーフィズとサーディク・ジャラール・アルーアズムである。ハーフィズはシリアの政権を担うアラブ民主主義政党バース党の左派に属していたが、一九六六年に自ら「アラブ革命労働者党」を結成し、急進化していた。彼は敗戦後に活発に出版した論説の中で、敗戦の原因を、エジプトのナセル政権やシリアのバース党政権の「プチブルジョワジー階級に立脚した」性質と、それを覆い隠すための自称「急進的」で内実は「折衷的な」イデオロギーに求めた。

アズムは、シリア有数の名望家に生まれ、イェール大学で哲学を学んだのち、ベイルートのアメリカン大学で教鞭をとっていたが、六八年に『敗北の後の自己批判』を出版し、アラブ世界が社会・宗教・文化・倫理・経済活動などのすべての面において保守的であり、六七年の敗戦を革命に結びつけることができなかった、と批判した。一定の社会主義化が進み、「下部構造」においては変化があったにもかかわらず、「上部構造」をなす思想面の変化に結びついていないという問題意識から、アズムはアラブ世界の思想の批判に着手する。六九年の『宗教思想批判』では、アラブ人の「宗教的・超自然的心性」が痛烈に批判された。これらの批判は、マルクス主義的階級史観に立ち、真の問題である階級闘争を「人民」の目から覆い隠すイデオロギーを排撃するという問題意識を持っていた。

ここから「人民闘争」による「世界革命」に役割を果たすことをアラブ民族の新たな使命へと潮流が発展してゆく。現在では、マルクス主義の枠組みの中での「階級闘争」や「人民」の意味合いが、必ずしも自明ではなくなっている。そこでまず、マルクス主義的な階級史観の概念と枠組みについて略述しておきたい。マルクス主義では、歴史は発展法則を持ち、必然的に段階を踏んで発展していくと考える。発展段階を性格づけるのが、各段階特有の「生産関係」の応じ方によって異なる階級支配のあり方である。歴史の出発点に理想化して想定される原始共産制においては、階級は存在しなかったものと考えられている。それが私的所有権が成立したことにより、支配・従属による生産関係とそれにもとづく階級関係が成立する。古代であれば貴族と農奴の、中世では封建領主と農民の近代資本主義においてはブルジョワ資本家と労働者の関係が主軸となる。このような階級関係による段階を踏んで、歴史は発展する。それぞれの段階で矛盾があり、矛盾を解消する階級闘争が歴史発展の原動力とされる。

最終的には人民階級が勝利し、無階級社会が再び到来するというのが、階級史観の想定する未来像である。人民闘争論の具体例を検討する際に確認しておくべきことは、このような歴史発展の法則の中に現実を位置づけることが「科学的」な認識方法であるという認識が、七〇年代の世界各国で、共産主義運動のサークル内はいうに及ばず、社会科学・歴史学の学界で支配的な地位を占めていた、ということである。この枠組みを採用した社会科学・歴史学研究者は、特定の時期の特定の国が、この「科学的」な発展のどの段階にあるのかを「認識」し、「位置づけ」ることを、研究の中心的課題としていた。そして、この「認識」し「位置づけ」るという作業が、政治的意味を持つものとされていたのである。生産関係のような「下部構造」の発展と科学的認識のような「上部構造」は、並行して発展すると考えられていた。

すなわち、「プチブルジョワ階級からプロレタリアート人民階級への支配の移行過程」に到達していなければ、その人民も自らの階級を意識し、その使命を理解することもできない、とされていたのである。逆にいえば、そのような階級意識が得られた場合ぱ、支配階級の交代が近いか、今まさに起こっている、ととらえられた。つまり、そのような階級意識を持ち、プチブルジョワジーとプロレタリアート人民の階級闘争を認識すること自体が、階級闘争を一歩進める(あるいは進んだことの指標となる)重要な政治的営為とみなされていたのである。アラブ世界の人民闘争論は、この枠組みの中でアラブ世界の現状を認識し、その位置づけを行った。一九六七年戦争後のアラブ世界を、この階級闘争の最終段階にまさに移行しようとしている瞬間と、とらえた。この立場に立つアラブ知識人の、同時代の状況の認識と将来のヴィジョンは、マフムード・フサインの『エジプトの階級対立』に典型的にみられる。

三〇〇万人に三三の言語

人口の一五パーセントを占めるマレー系はマレー語を日常的に使っているため、マレー語が彼らの母語といえるが、華人(人口の七六パーセント)、インド系(六・五パーセント)は、華語やタミール語が母語とは限らない。なお、ここでいう母語とは、日常的に両親との会話に使用する言語のことである。一九八〇年の統計によれば、家庭で両親との会話に華語を使う華人の割合はわずか七・四パーセント、英語を使う割合は五・四パーセントにすぎない。華人の八六・八パーセントは祖先の出身地である中国各地の方言を使用しており、福建語が三六パーセントと最大で、潮洲語、広東語と続く。これらの方言は華語とは全く通じないし、また相互にもほとんど通じない。このような言語状況は、日本に住む我々にはなかなか実感がわかない。

日本各地の方言と同じように華語や福建語、広東語を考えると大間違いで、日本語と韓国語と中国語が一つの社会に共存していると思った方が実態に近い。それほど通じないのである。わたしは、シンディの家族との会話に少しでも加わりたくて、『福建語初級入門』というテキストとテープを買ったが、華語とは発音が全く異なるのには驚いてしまい、わずか一日で福建語をあきらめたことがある。つまり、福建省や広東省といった南方の出身者がほとんどのシンガポール華人にとっては、華語は英語同様に外国語なのである。インド系の場合も、ダミータ語を母語とする者は半分以下で、多くはインド諸州の言語を日常的に使っている。タミール語と他のインド各地の言語も全く相互に通じない。このように全く相互に通じない言語が、シンガポール全体で実に三三以上(話し言葉を含む)使われているといわれている。この多様な言語状況を「体験しよう」と思ったら、バスに乗ってあちこちを回ってみるとよい。まず、バス内には四種類の公用語で禁煙などの注意奸書かれている。

バスの乗客は多種多様な言葉を話しているはずだ。市場に行くと、売り子は客の顔を見て華語かマレー語、カメラをさげた観光客なら英語で話しかけてくる。シンガポールの人々は日常生活において、常に相手の顔を見ながら相手が何語を話すのかを考えなければならない。人口三〇〇万の小さな社会におけるこのような言語の多様性は、国民相互の円滑な意思疎通を阻み、一体感の成立に大きな障害となっている。独立以来、いかにしてこの多様な言語状況を克服して、円滑に意思疎通を行なえるシステムを作るかは政権担当者の大きな課題であった。一九五九年仁自治権を得たシンガポール政府の言語政策は、四言語を平等としながらも共通語としての英語を重視することであった。英語を重視した理由は、第一に英語が国際語であり、科学技術の言語であること、第二に植民地時代からの諸記録、行政、司法の連続性を保証できること、第三に華人、マレー系、インド系の各グループにとって中立的言語であり、共通語として適していること、第四に外国人投資家の用いる言語であること、と説明された。

しかし、すでに述べたように、英語がリー・クアンユーら党指導者の母語であったこと。つまり、華人は英語と華語を、マレー系は英語とマレー語を、インド系は英語とダミータ語を習得することが推進されたのである。その目的は次のように説明された。「英語は、民族相互間の理解と、諸外国とくに先進諸国からの知識・技術の導入、それら諸国とのコミュニケーションの道具として習得させる言語、他の言語は、民族的アイデンティティーの保持と文化的遺産の継承を可能にさせる言語である」この二言語政策は、建前としては四言語平等であるが、高等教育の授業言語が英語に切り替えられるなど、実質的には英語重視であった。言語政策転換と独立直後からの外資導入を柱とした輸出指向型経済政策によって、英語の経済的価値は高まった。

それにつれて、英語校の生徒数は激増し、非英語校生徒数は減少の一途をたどったのである。英語校出身者の就職の有利さと所得の高さも顕著になってきた。言語別小学校の児童数の推移をみると。一九六五年には、英語校の児童数は全体の約半分であったが、七五年には七〇パーセントを超え、八四年には九六・三パーセントにまで達した。これに対して、華語小学校は、六五年には全体の三五・一パーセントの児童が学んでいたが、七八年には二〇パーセントを割り、八四年には三・七パーセントにまで減少した。マレー語小学校の児童数となると、六五年の七・九パーセントから八四年にはゼロとなり消滅してしまったのである。タミール語小学校も同様で、八〇年には入学児童がいなくなってしまった。政府はこのような非英語校の児童数激減を理由に、一九八七年度からはすべての小学校を英語校とし、英語を第一言語に位置づけることを発表した。

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